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Top Page › 日記・雑記 お話 › Re長くて失礼します 加筆訂正・北野さんのこと、知ってもらいたくて
2020-05-28 (Thu) 00:51

Re長くて失礼します 加筆訂正・北野さんのこと、知ってもらいたくて


>先ずは。二人とも元気で安心しました[○]
 
北野さんは自営の酒屋で19から家をついで主に取引先の新規開拓をやってました。病弱なおかあさんと無口で一方通行なお父さん、あまりなじめず親しまなかった様子のご両親が健在で,結婚後、親の意向で家と店の建て替えをしなくてはならず長年のローンを背負った。もうひとつは、3人の息子さん全員の半端ない学費。全員塾と大学と大学院にやらないといけなくなった(子供の意向で。一人は大学まで)さらにもうひとつ、別の土地に酒屋の倉庫件カラオケハウスを建てた。…これはお母さんが,ピリンゼンソクに気づかずサロンパスなどで呼吸困難の発作によく倒れる長い年月からようやく緩和してやりたいと言い出したので、プレゼントした。すべて自分の稼ぎ、親の資産も援助もない中で。

お母さんは、ひと月に1,2度呼吸困難で倒れる。若いころから10年くらい続いたと思う。おかあさんを緊急に病院にはこび点滴の2時間冬の寒い病院でずっとまってを繰り返して肝を冷やして夜を明かし、その足で仕事に向かう日々…その心労、度を越した経済的な三重苦、支払いに追われ続けて仕事しか出来ない長い年月…。
回りが要求することに心身を酷使し自分の命を時間を捧げてきて疲弊しあげくに喉頭がんステージ4で余命宣告されて。
したかったこと全然できないまま不治の病になり、声をうしなうか命をとるかとなって。言いつくせないほどのショックとくやしさ無念や悲しみで、手術まえの一週間は一人車や公園で大泣きしつづけた,手術の前日とその後は一切泣かなかった。友達にも家族にも何もマイナスの心境を言わず涙を見せずいたって気丈にふるまった。手術前日まで働き退院次の日から働いた。…やりたいこと夢が40代から出てきたようで資格をとった矢先だったから、もう絶望無念,くやしい悲しい、は想像に及びません。他のがんなら再生して形が戻っても喉頭がんや大腸がんは、形を無理に変えないといけなくて、もう失ってしまうのだから…
幼い頃からどこかにつれていってもらったことがないから日記に困った、お父さんは参観にも運動会にも来てくれなかったと…家族全員健在ではあるものの全員と接点がないような様子で、心の通い合うことのない会話のない同居人同士と言う感じみたいで。そんな殺伐とした間柄なのに,それなのにその廻りの人々の要求を飲んで仕事に支払いに世話ばかりに身を削る人生だった(もう60ですから)五年前喉頭がん手術して甲状腺、リンパ、喉仏、摘出して検査は三年後から年2回でした。絶対ストレスからだと思う。

手術してそう長くなく、ドルフィンに来てホテル清掃のベッドメイク係に回された。最初は2人でやっていたのを一人でやるようになってからの躍進が凄かった。私は3日遅れで入社し同じ会社の別の部署でミシンをやっていたけれど、どうも合わなくて居場所がなくていづらい思いをしながら毎日憂鬱に通っていた。2カ月つづけ、同じホテル清掃に異動させてもらおうと思い、田中さんに見学につれてもらったベイプラザで、谷井さんがいた、前掛けみたいなのをして魚屋さんみたいですごい威勢よく笑顔であいさつしてくださった。木下さんもいて超笑顔で手をふってくれた。田中さんも日曜出勤すると言う。いままで地下にいたもぐらが地上に顔をだしてまぶしいみたいな感じでうれしいびっくり、今までになく楽しみなわくわくした気分になってきた。これはいままでとちがう手ごたえやいい予感だ。それでいくことにしたのだ。そして2年が過ぎた。

毎回検査のたびに肝を冷やし憂鬱になるを繰り返し、なんとか無事で、今年の四月の検査で国際がんセンターの厳しめの先生に、もう5年たって何もないし再発は心配ないね検査は年一回でいいと言われたのは本当に!うれしかったと思う。やっとがんを卒業できた!とうれしそうで今年の桜を見にいきたくてしょうがない様子でつれてくれました。職場付近の桜道で、私もまだ一緒にいたら一緒に見れたのに、ごめんね…と思いながら写真とってました。やりたいことを再びやる,いう気持ちを情熱を取り戻してくれたこと、合間にこつこつ向かって準備をすすめてる様子で、私はとてもうれしく,必要あれば全面的に協力していくつもりです。
 
>僕も 変わらず元気で海の近くに住んで 海に関わる仕事に携わってますよ!   
 
谷井さんは海とヤシの木みたいな印象があって、太陽と海外の匂いがして、気が利いて細やかなやさしさ暖かいお人柄で…ほっとしたし心許せて元気でました。わたしはいろんな面で過敏症なので,親しんで腹をわって話せる人って少ないんですが、谷井さんは感情表現言葉豊かで聞けばだいたいはよく話してくれたから、一方通行じゃないのもうれしかった(^^)芝うちさんの大事にしてるチャリをバイク置き場に移動させてあげた…、というのをきいて、福祉施設の職員さんとしても,素晴らしかったと思っています
 
気をつけてがんばりましょうね!
はい、わたしは引きこもりぎみ(わたしの基本スタイルなので普通です)でいい写真ないんですが、谷井さんに聞きたかったことあってのこの写真なんですが、これ何かわかりますか?いまだわからないまま、捨てられてたのをひろって手入れして置いてるんです。不明なのは名前だけじゃなく、やたら育つのにぐったりシワシワで、しわしわにぐったりした大輪の花が咲いたんです…こんなケースは知らないので、どうしていいやら元気ないんで心配で。谷井さんが植物育ててるの思い出して、突然電話したくなったんです。みな色々都合あるんだろうし考えもあるだろうから返信も電話もないやろなと思ってましたから、不意に海の写真、すきな海にかかわる仕事されてると聞いて、とってもうれしかったです(^▽^)
 
ドルフィンで共に働き ほんの少しでも 支えになれたのなら それで
僕にとっては…満足です
 
田中さんは特別な人でしたね。とっても慈悲深くて慎み深くて、高貴で賢い、穢れのない聖職者…といえる程、ちょっと神秘的で雲の上の人の雰囲気を醸し出していたので(仏的な)こっちはいくらでも話せても向こうはなんも話してくれないだろうというのは分かっていたから淋しかった、谷井さんは理想のお父さんでした。心から暖かくて情に厚くて涙もろい、本音で血の通った話もしてくれる時もあったし、細やかな気遣いとやさしさを、平等に、みなにしてらした。

だんだん障害者を金儲けに出勤させて利用しながら嫌がらせしてたあの人らは一体。わたしらは仕方なくここへきたからいいとして、あのひとらは健常人だから、あえてここを選んできたはずなのに、なぜあんなに心がなく偉そうで失礼なんだろう。一般のひとらのほうがずっとまともだったよと話してました。でも世の中ってだいたいこんな感じですね,きっつい看護婦やえらそうな医者、意地悪なヘルパーたくさんいてますしね…すべてはもう過ぎ去ってくれたことであって良かった。今がいいなら未来も過去もいい風に考えられるから、今がよいこと、それがすべて良きことだし、幸せっていうのは、何かラッキーが降って来ることをいうんじゃなく、自分の心の状態のことを指すのだと常々思ってるので、それならば私は大まかにはいま一番幸せかもしれません。
 
明るく気さくで腹黒さのない、暖かい包容力を一瞬で感じさせる谷井さんには、,わたしも安心して色々話せました。私は病気ではないですが非定形の発達障害者で、性格が分裂ぎみで、思い通りに自分を動かせない、行動や感情を制御できにくい、不安定な変人が半分、まともが半分といったところで、見た目は普通ですが本当は奇怪で生きにくい人です。なので、まともな安定した自分の時に、…また いつかの機会にお会いできたら幸いです
 
姉ちゃんと北野さんでわたしの世話を焼いてくれて三人仲良しでご飯たべたり遊んだりするのですが、さんにんでいつか谷井さんの海の家の近くに遊びにいくかもしれませんが、都合が合えば、出てきてくださいね笑 ではまた…
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最終更新日 : 2020-05-28