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Top Page › HPブログ管理者(妹) › 山奥の病院と沖縄と 脱線して、つらい長い話
2020-03-24 (Tue) 03:36

山奥の病院と沖縄と 脱線して、つらい長い話

昔の写真を整理してたら、その他 のファイルの中にあった、対照的な状況の写真がでてきた。
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パフェは楽しそうに見えるけど、実はアトピーをこじらせて3カ月、愛知の田舎の山奥に入院してた時です。でも仲間が出来て、観光地なのもあって、飛騨高山の観光地に繰り出して京都風のお茶屋さんをはしごしたり、テーマパークにいったり、山登りしたり。だから実は、楽しそうに見えて、やっぱり楽しかった思い出です。

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ちゃわんの二つは、リゾートバイトの帰り道、沖縄本島で首里城に寄り道し、有名な手相家に見てもらう予約まで時間があったので、本通りにある沖縄ならではのショップで、シーサーや茶碗を見てなごんでいた。鑑定は弟さんとその人が一緒にやっている喫茶店でした。私の適応障害は病気か性質か、なおるか直らないかどちらか。もう何かしらあきらめたほうがいいのか、居場所探しを続けていたら打開できるのか。どうしたらいいのかと聞いた。
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答えは、実家にいると余計にこじれて悪くなるから、家を出て生活保護を受けなさい、そして何か資格を取ってできるだけ人と接しないでいい生き方をしたほうがよい。ということでした。つまり直らんということと理解した。そのとおりにすぐには行動しなかったけれど、世帯を別にして保護を受け始めたことが確かに、一番よかったと思う。あてもないのに家を出て保護が通ったこと、障害手帳を手に入れたこと、福祉サービスを使ってA型事業所で2年間続いた、これも全ては家を出て保護されたことがベースに成り立っていたことだから、やはりアドバイスは正しかった。家を出て保護を受けてA型事業所から派遣でホテル清掃に行きだしてから、私の人生は180度変わった、というか初めて地下の牢獄で閉じ込められて時々しばかれる10数年から、急に日なたに出て強制労働の刑に引き上げられたような、たとえば執行猶予で外に出たみたいに思えたのかもしれない。今までにない解放感と明るさと、世界に対して親しく温かい気持ちが持てた。それは、初めて人々の群れの中に溶け込みなじむことができた、皆と満遍なく仲良くなれた、仲間というのができた。と、初めての、憧れの普通の状態を経験したからだとおもう。で、それが気分が上がるほど、あまりにも楽で、広々と伸びやかで、楽しく幸せだったから。普通ってこんなにも楽なんだ、幸せだ。としみじみ思ったものです。

話は戻りまして、沖縄の旅、実はこのうえない悲惨な旅だったんです。上の理由で私は、中学ごろからどこにも誰にもなじめず、浮いた存在で、仕事が続けられなかったので、何度も挫折していた。学習していくから行動するにしても前例を鑑みて保守方向にどうしてもいくことになる。夢ややりたいことは何か?など私には贅沢で無関係な話であって、何だったらできるのか、何なら大丈夫なのか、という条件でしか、ものを選ぶことができなくなっていったのも当然だった。失敗を繰り返すたびにある意味学習するから、あれでつまづいた、じゃあ次は、これがないような職種や職場をさがそう、というふうにして失敗しないよう気をつけて進む、すると選択肢がどんどん減っていく。それでも結局つまづき、パニックに陥りやめて帰ってくるのだった。傷がなおらないうちにまた傷が上書きされていく。いずれか、神経を痛めて、ストレス耐性が弱くなり、予想外の不遇な出来事に対して過激で異常な反応をするようになってきた。しかし、こんなにも気をつけて失敗しないように保守的に、できそうなことを選んでも失敗する時にはするんなら、いっそ、超極端なこと、ぶっ飛んだことをしてはどうだろうか。

というわけで突然…それは他人からの見え方であって。まっとうな経緯と理由があって私は、前から考えていた沖縄方面のリゾートバイトにある日飛んだのでした。本当は西表島や屋久島に行きたかったけど、久米島しかあいてなかった。とにかく自然の海のきれいなところ、現実から全然遠く、遠くに離れた環境であればどこでもよかった。

一応は楽しみで期待が大きかったのかもしれず、大荷物郵送&持参でいった。…それまでの一カ月、自律神経を壊して何を食べても吐いてしまう毎日が続いていて、両親に空港まで送ってもらったその時も、空港のトイレで吐いていた。苦しかった。ゲートで別れた時、年老いた両親を振り返って、今までになく淋しい気持ちになった。いろんな意味で親が不憫だった。

あちらにいって、ある日なにかのひょうしに梅味のポテチを全部食べてそれから吐き戻しが直って、職は普通にもどった。水がすごくよかったようで、いつもアトピーでがさがさだった手がつるつるになったのはびっくりした。

…が。旅行しにきたならこれで全くよかった。けれど、私は仕事をしにきたのだった。職場と仕事内容、仲間に全く全くなじめずいつもの拒絶反応が。…、どうしてもここにいれない違う!!という精神的な拒絶反応はまたいつもに増して激しいものがあって、人から職場のバックヤードから全てから、逃げまくっていた。沖縄の景色を見ても少しも楽しくなかった。もちろん、すぐにやめて帰ってきた、大荷物郵送+大荷物持参で行ったものだから余計に情けなく悲しかった、たったの3日。

だからこの、陶器市の明るい沖縄の大通りの写真、沖縄の旅の写真、と言葉で言うと明るい楽しい旅の話に思えてしまうのですが、ひどく絶望的で悲しい悲しい、思い出したくない思い出にまつわる写真なのですね、今はまったく平気に見ているけれど…。沖縄で心機一転なんとか自分を変えようとして大荷物で飛行機でいったのに。両親に車で関空に送ってもらってゲートで手を振ってたった3日で家に帰ってきた私。父も母もいつものことだから驚きはしないけれど、なんと反応してどうしてやったらいいかわからずに困っていただろう。友達になってくださいと言ってきた邪気のないいい子そうな男の子がいた。私が仕事と人になじめないせいで、言動が自然にできないせいで好意をうけとめて普通に仲良くなりたかったのに、それができなかったのがつらかった。食事に誘われて出て行ったけれど私は明日やめて帰る予定でいたから気が楽で喋れたけれど先行きが見えずこれから仲良くしていくこともできないだろうという気持ちで、さようならと心でもう思っていたから気楽に話せたけれど、それはもう会うことはない、今日でお別れするからだった。それがなんともいえなかった。人生を楽しみたくて明るい気持ちで来ている普通の職場の若い女の子に対して、こじれまくった私が、一体、どういう態度で接していいか何を話していいか、全然真っ白でわからなくて、基本誰に対してもそうだったから人の目につくことが恐怖だった。いい年をしてそんな自分が情けなかった。

帰り道、首里城により、占い師にみてもらい、一泊するつもりでどこなと泊まれるだろうと安易に思っていたら大変な目にあったのだけれど、それはまた今度にする。そこでの自分の反応を自分で目の当たりにして、もう何かの病気なんだとはっきり思った。今もよくなる、思考停止状態で言動がストップして寝込んでしまうあれだ。(たぶんノイローゼか不安神経症発作と思う)

家に何度目かの挫折で突然キャスターと荷物で帰ってきた娘を親は、普通の、どちらかというと笑顔で迎えてくれたように思う。私は悲しくて悔しくて恥ずかしくて残念でまたほしかったものが壊れた、夢がひとつ壊れた、出来ることがまた一つ消えた…なんで私はこんな私で生まれて、生きてかないといけないの?どこにも行けず何もできず、苦痛と不快ばかりの時間が永遠にみたいに続くなんて無意味以上に酷だと思わない日はなかった。若くていいね、なんて何て馬鹿みたいに無神経な物知らずなことを皆いうんだろういくら時間があっても能力があっても使えなければ何の意味もないのに。私はなんのために居るの?

もう発狂して、暴れてわめいてわめいて泣いて泣いた。親はどうしたものかと困惑しつづけていたと思う。異常事態が10年以上も続く、すると異常が日常になるのだ。だから、親の私に対する気持ちも態度も平常心に近いものになる。いつものことだ、なんとかなるだろう、と、…どうなってるんだろう、どうしてやったらいいだろうと真剣に知ろうと思うと、手間暇がかかりすぎて自分のやるべきことに支障が出るだろう。あるいは、もう、理解の範疇を越していて、わからない対象はそれはそれとして、そっとしておくしかない。両親としては最低限、どうにかなると前向きで明るい安定した心と存在でいるために、それぞれの生業や仕事、日常生活を変わりなく、きちんとこなすことに、自分をしっかり保つことに専念し私のことは考えないようにしてただ家に置いておいたんだと思っている。わからないから、そっとしておくしかない。考えてもわからないしどうしてやったらいいかもわからないからもう考えないし見ないようにした、これは両親。私は、よく見ていたしわかっていた、だからこそいろいろやった、けど結果、失敗ばかりして突破できなかった。わかっているからそうする、しかし進めずに挫折して振り出しにもどる。その繰り返しを、もう忘れてるのをよく思い出すからひょっとしたら100回近くやって…そういう前半生だったんです。脱線して暗い長を話しすぎました。深夜はのめりこむから危険。仕事も決まらないことだし、このこと、もうすこしつっこんで整理して少しづつ、話していけたらいいな。
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最終更新日 : 2020-03-24