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2019-08-09 (Fri) 06:20

父よ母よ、私は元気です(長文)

姉ちゃんのとこに来たお母さんからのメール、私も読ませてもらったよ。(いい意味で)今までと様子の違うお母さんと、向き合う決心がつかなくて、昨日でんわくれてたけど返せませんでした。心身の病状は安定して、多少の不具合はあきらめる方向に気持ちも固まっていて、仕事にもいってるから安心してね。

毎度一週間ぶり、会って顔見て話をするとなると、いっしょうけんめ表面的な話がたくさんありすぎて、いつもせわしなく別れてまた来週、となるね。顔見て話するとよくわかるっていうけど、あるいは逆かもしれないと私は思っています。顔見て話をするかぎり、お母さんの中では私たちは小さいときの印象が強く、いつまでも子供のままでしょう?元気そうだと元気だと思い、何も言わないと何も思ってないと思うでしょう。

ほんとうの私を知ってもらうためにしばらく顔を見せず声で話さないでいることにしました。ブログや手紙を読んでもらうという形で、私の本質や真実、今現在の生活や心身の状態、思ったり感じたりしていることなど書くことにしますのでよろしくね。

顔見て話をすると、その人の発散する雰囲気としゃべり方とかの「見た目」にごまかされてなんとなく大丈夫と思い本当のことがいつまでも明かされないわからない、っていうのが真実と思う。だから30年以上ずっと一緒にくらしよく話もし一緒に働きもしたのに、それでもお母さんはわたしのこと全然知らなかったんじゃないかな。あるいはもうお母さんにとって私は理解を越しているし手に負えないから、そのうちなんとかなると楽観的に丸めて考えないようにし放置、仕事しご飯作り、自分のことに没頭することで、わたしを見ないように考えないようにしてるんじゃないかと私は思ってた。ずっと昔から見て見ぬ振りされてとうに捨てられた、見てもらえなかったし育ててもらえなかったと悲しく思ってた。

でもそれもしかたないといえば仕方ないね・・・。だれかほかの人のことを理解しようとするとき、自分の人柄や自分の経験の範囲でしか理解できないし、想像もつかないものだと思うのです。自分の範疇を越した、自分が理解できない想像がつかない人を助けたり関わって育てたりひっぱっていったりすることは、不可能だと思う。私だってそうだと思う。だからいいんです。

私は、全然世間知らず人の心知らずじゃないから、理解力は自信があるほうだったけど、それでもこのごろは想像もつかないような事柄や人に出会い、自分はなんでもわかってるつもりだったけど、全然わかってなかった、一般社会というものは意外と大変けったいだし病んでると知ってびっくりした。

世の中も人も、私の理解を越していることが多いと知った。尊敬も信頼もできないいじわるで変な仕事の仕方をおしつけてくる上司、誰が許してその権利や役職についているのか理解に苦しむような人、などにたくさん出会った。もったいないくらいの人がうもれてることもあるし、単に愛すべき変人もいたな。・・まえの職場でのことだけど。

それぞれ、どうもよくわからない変なこだわりをもった人って実に多い。7割がた世の中や人は自分にとってけったいで愚の骨頂なものだと思ったりした。(というか、よのなかってこういうものなんだ、おかしな成り立ちが7割以上なんだと悟った)。

最近思うのが、とってもこれが切実に必要でうまく使えるはずの人がもってなくて、逆に、それを持ってることも気付いていないような人が莫大に持っていてばかみたいな無駄遣いしていること。死んだ方がいいような人が健康に生きて良い人を刻している現実、素晴らしい才能と人柄を持っていて生きていたい人、惜しむ人がたくさんいる人が難病で命がなくて、うまく生きれなくて生きていたくない人が健康で長生きしてしまったがゆえに心の病になる。このわからなさと理不尽さ。

欲しい人が持ってないことはなんとなく理解できる。でも必要とおもってない人やそれにまったく価値を見出してない人がそれを莫大に持ってることについては、もう・・まったくわからない。わからないことは今までだいたい書籍をあたって調べて結構すぐ解決してきたけど、これだけはまだどこにも載ってなくて未解決大疑問です。

お金をもてあまして札束で焼き芋を焼くような人がいる半面、優秀なのにお金がなくて学校へ行きたくてもいけない地域の人、障害をおって病気がちで病院と手術ばっかりして貯金ままならず、という極端な運命の違い、というか無意味な不公平のあること、とくに持ちすぎてる人の無意味さはなんのためだろうと・・・あるいはこれにはこういう意味があるのだよと隙や矛盾のない理屈で教えてくれる書籍に出会いたい、あるいはだれか教えてくれないだろうか。

私も見た目は子供だけど年をとってもう曲がり角をまがったことでもとから思索的なのに拍車がかかったような。周りも同じように年をとってきていて見た目が変わってきてるからまたふと考えてしまう。・・とくにお母さんらの年代の人は「水分が蒸発して干からびて骨太で元気」「衰弱し精気がなくなって」「停滞、退屈、怠慢」「不快と不満と不安」の人のどれかに分類できるように感じる。一日終わると、終わりにちかづいて行ってる。これが事実として肌身に感じられる年頃に人柄に、私もなったなぁ。老人になるなら干からびて元気がいいな。

毎日、毎日が次々あっというまに流れて行ってしまって、気付いたらもう50歳、もう60となるんではないか。とこのごろ焦ります。
私の関わりあいになってる大事な人たちと私の生きてる残り時間は、だとするととても短い。一週間があっというまなら、一生もあっと言う間にちがいない。と思うと手ごたえのある豊かな一日を、感動や感謝や感想のある一日を、できるだけ多く過ごしたいものだと、思います。(だから調子の悪く一日棒にふったりする時はとっても残念におもう)

手始めに日記をちゃんと書こうかな?続いたことなかったけど… 長話、理屈っぽい話に頭、無事ついてこれたでしょうか。あるいはわかってくれなくても読まれなくてもいいんです。基本は自分の生きた証のために書くだけでも書こうと思っています。でも、できたら読んでね よんだら拍手をよろしく。


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最終更新日 : 2019-08-09