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靖国で会う、ということ 曽野綾子


・・その場合、自分がまず頑迷であって人を許さないようなことではいけない。
他者の幸福を自分も喜び、他者の不幸を共に泣く姿勢でなければならない、という基本姿勢を聖パウロは説いたのである。

私の知る限り、日本の神道もカトリックも、柔軟だった。だから私たちは日本という国家の国民として、自然に自由にカトリックでありえたし、神社に参拝もできたのである。

日本人は、異なった生い立ち、宗教、文化、そして外見を持って育った人々が、共に暮らすことのむずかしさを知らない。

・・私たちは、人種を超えて、あらゆることを共にすることができる。学問、事業、スポーツ、娯楽だ。

ただ居住だけは、食物の宗教的な違い、衛生感覚、家族観に至るまで、それぞれに違い、時にそれが日常の摩擦を生む。だからこそ、居住環境はそれぞれの価値観が近しいもの同士が共にしてもよいのではないかと考えたのである。

私の念頭にあったのは、民族やコミュニティがゆるやかに分かれて生活している居住環境であった。
 例えば、シンガポールでは、インド系のヒンズー教徒が住まうリトル・インディアやマレー系のイスラム教徒が集まるアラブ・ストリート、中国人のチャイナタウンといったように、ゆるやかに居住空間が分かれている。

・・こうした食文化の違いから、豚肉も食べる日本人はイスラム教徒やユダヤ教徒と同じ包丁やまな板を使うことはできないのである。
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