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簡単で正確な見分け方 心と行動は違っても仕方がない




 私が素人的質問をしたのは、「比べる」のも、簡単で正確な見分け方だからだ。

単独ではわからない陶器でも、二つ並べればどちらがいいものかすぐわかる。

人間も一人ひとり見ていたら判断が難しいが、二人に同じ仕事をさせれば、どちらが有能か一日でわかる。

・・なぜあのでたらめなエリツィンが政治家として分厚く見えたかというと、彼は善悪は別として個性が強いからだろう。

人が自分をどう思うか、などということは全く気にしない。自分はこういう人間だ、自分はこう考える、ということだけを吠えたてる。

エリツィンに日本の政界にいられたらたまったものではないが、この強力な個性の発揮の仕方だけは、日本人も学ぶに値するだろう。

組織は声からはじまる
 自分は不愉快なら、不愉快な声を出してもいい、ということは少しもない。
むしろ自分の内心がどのようであろうと、平静と礼儀とを失わないように取りつくろえるのが大人というものだ。

 今は皆単純な子供ばかり。きっと「自分に正直に」と日教組の先生が教えすぎたからだろう。

 ありがたいことにキリスト教は、心からでなくとも、理性だけでもいいから愛を実行せよ、と教えてくれた。
心と行動は違っても仕方がない。せめて心と行動とは裏腹でいいから、相手に優しくせよ、と教えてくれたのである。

収穫までの長い年月 不景気を生き抜く時




・・愛というものは(たとえ善意であっても)相手を変えさせようとすることではなく、辛抱強く相手をそのままの姿でただ庇い続けることだ、と書いている。改心、或いは、改変させようとするのは愛の行為ではない、というのである。

 辛抱強く見守ることが、すべてのことを成功させる秘訣らしい。もちろん「ミカンの肥料」もやらなかったら身の数も増えず、味もよくならないだろう。しかし最大の要素は待つことだったという気もする。

 ことに子供の教育は、待つことだ、と思う。そう思っても親はつい短気を起して、叱ったり、もうこの子はだめだ、と諦めたりしそうになる。しかしとにかく私の体験では、みかんがなるまでにだって、長い長い年月がかかったのだ。

すべての働き人がやっていること
不景気を生き抜く時も、失職して再就職したい場合も原則は簡単だ。

どうしても働きたかったら、以前働いていた知識や体験が役に立つとか、前と同じ程度の地位とか収入とかいう条件を出さないことなのである。人が八千円の日給を要求していたら、自分は七千円で働きます、ということなのだ。そしてこのような譲歩はどこの「働き人」でもやっていることなのである。

時間が早く経つと感じる




むだな考え
・・しかし私はよく思うのだ。もし時間が早く経たないという感じになる時があるとしたら、それは多分不幸な時なのだ、と。

・・私は飛行機の中で、その日に限って時間が長く感じられ時計を何度も見たことがある。

もう何分経っただろうと思ったのに、さっき時計を見たときからたった五分しか経っていない。
こんな調子であと6時間、どう耐えたらいいだろう、と感じたら絶望的になった。よほど体調が悪かったのだろう。

それ以来、時間が早く経つと感じるのは幸福な証拠、と思うようになった。

・・「もしも」という仮定形でものを考えられる、というのはずいぶんと「上等」な生活をしている証拠だ、ということだ。

 南米やアフリカで、教育を受けられなかった貧しい人たちは、仮定系ではものを考えない。仮定形を作るというのは一種の抽象化の能力があるということだしそれに、今晩食べるものを手にしていない人たちは、決してこんなむだなことを考えはしないのだ。

普通にさりげなくする

社長の顔が見たい 曽野綾子


私が印象深かったのは、堤船長の手紙の中の一節であった。
「やらなければならないことは、なるべく普通にやれる男たち」を目指して精進して参ります、という言葉である。

 人は誰にもやらなければならないことがある。最近はしたいことしかしない、それが自由だ、とうそぶいている若者たちが増えているが、それは世間を知らない子供の判断である。

「したいことをするのが自由ではない。人間としてすべきことをするのが自由なのです」と以前一人のインド人の神父がはっきりと言ったことがある。

 しかもすべきことを、気張ってやるのではなく、普通にさりげなくする。というのが、私は好きである。

すべきことをしただけでそれを吹聴したり、いちいち褒められることを期待するのは、幼稚というものだ。私もどんなことでも普通にする人間でいたい。

 すべきことをした人に外部の者は深い感謝を忘れず、一方すべきことをした人は「なあに当然のことです」と淡々としている。という姿は、この上なく端正で美しい。

裏表がある愛でも



 
・・ここで使われている「愛」は「アガペー」と言われる愛であって、

仮に愛することができない対象に対しても、人としてのあるべき姿として愛しているのと同じ責任ある行動をとる理性を含んだ「愛」である。心から好きになって愛する行動をとることではないのである。

そのようないささか裏表がある愛でも、愛なら人を造り上げる、というのである。

・・愛は完成品として、突然出現するのではない。
多くの場合、辛い無理をしながらも構築していくものだ、というのである。

・・愛は知識を前提とする。「前もって知らなければ、誰も愛さない」というのは謙虚な姿勢で、私たちはやはり知ろうとして勉強し続けるほかはないらしいのである。

筍の凄さ
・・人生には一日として同じ日がない。会う人も一人として同じ人がいない。そう思うと強欲になるのだ。

今日を大切にしたいと思う。出会いを持つ人の個性をただ「深く大切に面白がりたい」と思う。

相手の性格をこちらの生活の便利に使おうとしたりするから、腹を立てたりするのだ。

・・「ただしいつがいいかは筍の都合だぞ。筍は人間には絶対に合わせんからな。天皇様が来られると言ったって、総理大臣が来ると言ったって、筍は、ご都合に合わせるということをしないのだ」「筍はえらいんだんだぞ」

刺繍の技術



 
宣教師として入ったヨーロッパ人の修道女たちは、地元の娘たちに毛糸編み、刺繍、縫物などを教えるのに熱心だが、アフリカの娘たちには特徴がある、と・・それは、まっすぐに縫うこと、と、急いで仕事を仕上げること、ができない、という特徴だ。

・・アフリカの女性たちには性格的に、緻密さとか、正確さとかいうものに、あまり魅力を感じていないように見える。

 ・・機械の刺繍は見事なものだ。刺し残しがあることもないから安心して見ていられる。
それでも昨今の民芸はやりの風潮では、「稚拙でも手の刺繍がいい」という人がいるが、私はどうしてもそうは思えない。

 模様がへたくそで、配色がおかしくて、技術が悪いアフリカの刺繍には時々まいることがある。そういう刺繍が日本の教会では、バザーで売れるなどという幻影を抱かせることは、過剰な親切でよくないと思う。

売り物にならない技術だということを、はっきりわからせることが、むしろ本当の親切である。
アフリカの人に差別を抱かず平等に付き合う、というのなら、こんな下手な刺繍はだめよ。とも言えなければならない。

魂の自由人 曽野綾子3



人間は、自分の子供を産むという形で命を残すのが普通だが、見知らぬ人に、思いもかけぬ方途で命を与えることもあるのである。
 
自分が思いもしなかった運命に直面すると、人は当然うろたえ、悲しみ、不服を言う。・・自分の悪意が思いもかけない善意の結果に見えるものを生み、自分の善意は誤解されて全く評価されないことなどいくらでもある。

よく考えて計画したことが仇になり、ろくすっぽ考えもしないでつっ走ったことが、けっこうな決断に見えることもある。

人間はまず自分の意志によって未来に備えるものなのだが、同時に運命に裏切られることもしばしばあって当然なのである。
 
この世で、多くのことが、理屈通りになったり辻褄が合うはずだと思ったりしてはならない。
むしろ多くの運命は、私たちをあざ笑うような結果に傾くことが多いのである。

 そう思って、運命の不法な裏切りに常に備えていることは、確実に魂の自由に繋がると思う。

魂の自由人 曽野綾子2

魂の自由人 曽野綾子


 ・・ユダヤ教はまた明らかに、勧善懲悪の世界である。
老、病、死は、必ずその人の悪業の報いだと信じられていた。

しかしイエスが出てから、我々の行為はこの地上で簡単に罰せられたり、幸運で報いられたりはしないものだ、ということが繰り返して言われるようになった。

 ・・そもそも正しいことをすれば、その分だけ現世で報いられるのだったら、それはあまりにも現金な話なのである。
自分が不幸な目に遭いたくないから正しいことをするのだったら、それは自動販売機でものを買うのと同じ商行為である。

金を入れれば、それに相当する価値のものが出てくるのが自動販売機だ。それと同じように、自分が現世でいい思いをしたいために善行をするということになったら、その行為はまことに浅ましい計算づくのものになる。

人は純粋に神への忠誠や、自分の美学に殉じて、この世で全く報われなくても、するべきことをしなければならないのである。

順調と逆境と

魂の自由人 曽野綾子


フランシス・ベーコンはその「随筆集」の中で書いている。

「順境の美徳は節度である。逆境の美徳は忍耐である」

「順境には多くの恐れと不愉快がなくはない。そして逆境によろこびと希望がなくはない」

「順境は悪徳をいちばんよくあらわすが、逆境は美徳をいちばんよくあらわすものなのである」
つまり日本人を自殺に追いやる一因は、順境なのである。
・・・
「我々はカトリックですが、キリスト教は別に現世利益を求めないんです。いいことをしたから生きているうちに報いてもらおうとか、悪いことをすると罰せられるだろうから悪さはしない、ということになると、不純になりますからね」 (つづく)

愛し始めると・・

魂の自由人 曽野綾子


私はいつも、「会社を愛してはいけない」と言ってきた。もちろんそれにはいささかの逆説も含まれている。
だから一応人は会社に忠節を尽くすべきなのだ。

しかし愛し始めると、人はものにでも人にでも盲目になる。執着し始める。悪女の深情けになる。周囲は迷惑千万だ。

・・やり損なうはずがない人のことを話すとき、彼らはほかの条件も挙げるが、その人に「少し愚かなところ」があることも一つの条件にする。

また確かに、少し愚かなところがあるということと、ばか正直ではないということほど、幸運をもたらす2つの特性はない。

それゆえ、自分の国とか主人とかを極端に愛する人々は、決して幸運ではなかったし、またなりえないのである。
自分以外のことを気にする時、人は自分の道を進みはしないからである。

歴24年,個人エステサロン

日常の喧騒からはなれた 美的体験で 心の癒しと解放感を。 Lotusでは、いつ帰ってもいいような あたたか味とゆとりのある 居心地のよさを 皆様に提供させて頂くことを 目指しています。 皆さまにとってLotusが、癒されて元気になれるパワースポットのような場所になれれば幸いです。

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老舗店をめざして精進してゆきますので、今後もご贔屓どうぞよろしくお願い申し上げます(^^)ご新規、一見さんも歓迎です☆ なお、記事は全てセラピストの妹の日記です。セラピストは別の人で、記事は書いておりません。元気でいつもお店にいますのでご心配なく!

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