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他人にささげる心の行為には



奉仕の意味は、実に深いが明確である。
 第一にそれは、人間は受けて与える、という自然な関係で社会生活を営むという原則を確認させる。

 ・・成熟する、大人になる、ということは、受けるだけの暮らしではなくなる。ということだ。
人間は社会からあらゆる恩恵を受ける。・・もし人間が一人になりたければ、私たちは受けるだけではいけないのだ。
受けることも多いが、与える機能も充分に有する人間にならなければいけない。

・・「奉仕」は第二段階の意義を持つようになる。・・ごく普通の人は、「もらう、受ける」のも嬉しいが、「あげる、与える」ことも、かなり楽しいのである。それを実感させることだ。

・・他人にささげる心の行為には充足感があるというのは、実に不思議なからくりだと思うこともある。

 しかし現代の高校生の多くが、実に不幸なことに、与えるという立場に立たせてもらったことがない。
・・昔はどの家庭にも兄弟姉妹がいたから、男の子でも妹をおんぶさせたれたまま道で遊んでいる子もいた。

しかし今の高校生は子守の体験などない。かくして与える機会を与えてもらえないまま、大人になりたくても大人にならせてもらえなかった高校生ができている。現代的不幸の典型である。

・・・ 弱者を庇うのが当然だ、などと日本人はすぐ簡単に口にするが、それは自分が飢餓に立たされたことがないからで、人間の本能は弱者から切り捨てるようになっている。人間は、まず自分が生きようとするのだ。

 そうした醜さを見せないためにも、人は自分の心を鍛え続けねばならないし、現実的には、最低限食料の自給自足を視野に入れた農業を考えなければいけない時になったのかもしれない。

料理と旅は

謝罪の時代 曽野綾子


・・しかし何かまなじりを決して老いと立ち向かうのは、私の趣味ではない。ごく自然に、遊び半分に魂の老化、精神のさびつきを防ぐ方法はないかと考えていたが、最近、それこそ二つの鍵と思えるものが分かってきた。

 何ほどのものでもないのだ。毎日料理をすることと、時々旅をすることである。
二つとも、考えようによれば誰でもがしている暮らしであり遊びである。

 料理は、動物としての人間の当然の義務である。動物は毎日、自分で餌をみつける。・・金をだして調理された者を買ってきて食べるというのは、動物の生き方としては異常なのである。

 ・・企画された旅でも、常に或る程度の緊張がなければ、他人についていけないものである。
添乗員が発表する部屋番号を聞きもらし、鍵をなくし、集合時間に遅れる人が後を絶たないのを、私たちはよく経験する。
 料理と旅には人が生きる上で不可欠な要素が、いくつか含まれている。

 第一に予測する力である。 
料理には材料として何と何をそろえなければならないか、最初に何を茹でておき、その間に何に塩しておかねばならないか、を考える。つまりまだ起きていないことを予測する能力がいる。

 旅も同じだ。気温はどれくらい寒くなり、どこでどれだけ歩かねばならないかを考える。荷物はどれだけ増えるか、乗り場をどうして探すか、切符やパスポートはどのように安全に管理するか、すべて予測の力である。
予測は当たらないことも多いが、それでもそのこと自体は、非常に人間的に高度な精神的行為である。

 ・・・これらのことは、実に人生の生き方のこつそのものだ。
予測し、分類し、不必要なものを捨て、一つずつ片付けて行き、完全を望まない。
料理と旅はその訓練を人間にしてくれるから、精神がさびつかないのである。

家庭で親を介護する場合

謝罪の時代 曽野綾子


・・実に日本人というのは、集団としてもまじめに手抜きせず、必ず時間に間に合わせる、という世界に稀な才能を有する人種なのだろう。
 しかしその分下手なのは、お祭り騒ぎで、沿道は意外と粛々としている。励ましのための掛け声も仮装して走ることも認められているのだが、それを面白がる空気が希薄で、歯をくいしばって完走するのが目的になっている。

 これにはまたいささか裏の事情もあるだろう。日本人は規則を作り、他人を縛るのが好きなのだ。・・出来ることはできるだけ自由にさせてやる、という柔らかな空気が、市民マラソンには必要なのに。

弱者を庇うのが当然だ、などと日本人はすぐ簡単に口にするが、それは自分が飢餓に立たされたことがないからで、人間の本能は弱者から切り捨てるようになっている。人間は、まず自分が生きようとするのだ。

 そうした醜さを見せないためにも、人は自分の心を鍛え続けねばならないし、現実的には、最低限食料の自給自足を視野に入れた農業を考えなければいけない時になったのかもしれない。

日本の病院でも老人ホームでも、大して専門的でない部分には、外国から介護の人手を入れればいいのである。

家庭で親を介護する場合、世話をする娘や息子の嫁は、医療の素人である。そうした身うちが食べさせたり、清拭をしたり、おむつを替えたり、痰をとったりしている。そんな部分は外国人労働者に十分できるはずだ。優しい心の持ち主なら、邪険な日本人よりいくらかましである。

高校と大学を卒業する時

謝罪の時代 曽野綾子


信仰があると、すべてのできごとに意味がある、と思えるようになる。
しかし信仰がないと、これは運がよかった、これは運がわるかった、という形でそれこそ勝ち組と負け組を簡単に分けるようになる。

 人生ですべてのできごとが「取りようによってはよいものだ」と思える人は、冷蔵庫の残りの野菜をすべて使って、おいしいスープを使って、おいしいスープを作れる人に似ている。まとまった料理には使えないくず野菜がたくさんあるからこそ、複雑なスープの味が出るのだが、「くず野菜は捨てて当然」と思う人は、決してこの手の野菜スープは作れない。

高校と大学を卒業する時、私は私たちの前途には、長い時間があると思っていた。卒業式の後、しっかり別れの挨拶をする機会がなかった人とも、そのうちにいつでも、どこでも、何度でも会える、と思っていた。

しかし驚いたことに、その日以来一度も顔を合わさない同級生が何人かいる。・・私には信じられないことだった。 

 ほんとうはどんなに若くとも、もう生きて会える時間は数えるほどしかない。
会ったところでどうなるというものでもないが、私は多くの人と会って楽しかったのである。人の向こうに一つ一つの人生が輝いている。人生を眺めさせてもらうことは、何よりも光栄だし、心をとろかすほどのすばらしさを味わえるのだ。

病気に対して「丁寧でない」

謝罪の時代 曽野綾子


「ねえ、皆さん、この集まりで病気の話をするのはやめない?」と宇野さんは言われたのだ。

・・年取って自分の病気の話をするほど、平凡で利己的で閉鎖的な行為はない。とこのごろつくづく感じるようになった。
ことに作家なら皆それぞれ自己表現をする場を持っているのだから、仲間内で愚痴の言い合いをする必要もないのである。

 この宇野千代さんの言葉は、今でも私の生きる姿勢の中に残っている。芸術というものは、すべて自分の身に起きたことを愚痴らず避けず、現世でしっかりと受け止めることから始まるのだと思うようになったのである。

・・病気というものは綿密に付き合っていると、なかなか出て行ってくれないものなのだ。少々でたらめに、いい加減にあしらっていると、待遇が悪い人間は嫌いなのか、いつのまにかいなくなるような気がする。

 病気に対する一種のこのようなあしらい方など、若い時の私は考えることもできなかった。

しかしこの年になって自分自身の姿や周囲を見回すと、病気に対して「丁寧でない」人の方がはるかに元気に生きていることが分かったのだ。

病気以外にすることがたくさんあって、病気のことなどあまり考えていられないのがいいようだ。病気も一つの人生の出来事と思い、できるだけ軽くやりすごすという姿勢が必要なのである。

謝罪の時代 曽野綾子




もしも子供たちが異常性格でないなら、という条件付きだが、私はそれを、家庭に会話があるかないかだと思っている。またその子が本を読む少年だったかどうかも一つの鍵だと感じている。

 このような犯罪に類似した事件は今でいくらでもあったはずだ。・・人殺しをすると、どういうふうに一生浮かばれないのかわからなくても、親たちの話を聞いていると、刑務所に入れられたり、一生世間から疎外されるだろうということが分かってくる。・・家族の会話はそれなりに一種の抑止力になる。

 肉親が嫌いだったら、殺すなどというばかな行為をする代わりに、早く独立して別の暮らしをすればいい。

・・・私が自分以外の生き方を知ったのは、親たちの話し以外に読書だった。
小説の中には、卑怯な人物がたくさん出てくる。それが生き方の反面教師として私の人生を彩った。少なくとも、人生にはこんなにたくさんの選択肢があるのだということを見せつけられた。

・・読書は人生の選択を手軽に予防的に見せてくれるのに、最近の若者は本を読まない。その親たちも、その親たちを教えた教師たちもあまり本を読まない。かくして彼らは、後世の若い世代に残す知的財産がどんどん貧しくなっている状況に平気なのである。

道徳は複雑なことを言わなくていい。せめて人を殺すな、自分を殺すな、赤ん坊を捨てるな、盗むな、万引きするな。放火するな、ものを浪費するな、市民生活を穏やかに成り立たせるために決められた伝統的規則を守れ、くらいの原則を教えたらどうなのだろう。

アラブやラテンの文化には

謝罪の時代 曽野綾子


アラブやラテンの文化には、時間を厳守しない伝統がある。約束を守らない男に「いつまでにやるのかね」と聞くと、大真面目で「明日まで」と答える。しかし明日までに約束の仕事をはたすことはほとんどない。

 日本人はそれとは正反対の姿勢で国家を進歩させて来た。・・延ばすという知恵は大切だ。

誰かに抗議したくなったら、明日までメールを送るのを待ったらいい。誰かを殴りたくなったら、この次に会った時にすればいい。
相手をなじる手紙を書いたら、封をするのは明朝にして、明日再度読み返してみるのだ。すると多分、気持ちはかなりかわっているだろう。

 離れる、という技術も大切なことだ。相手を殺すほどいやになったら、その人が見えない所にさっさと逃げ出すことだ。

見えもせず、触ることもできない相手を焼き殺したり絞め殺したりすることはできないから、場所を変え、時間を引き延ばすだけで、事情は変わってくる。こちらの感情も風化する。その速度は恐ろしく早い。

どうしてそういうことを、子供たちが児童相談センターだか施設だかに世話になりに行く前に、学校でも家庭でも教えないのだろう。・・そんないやな親のために自分の一生をだいなしにされてたまるか、というセリフを誰か身近な人が教えてやってほしかった。

ストリートチルドレン

謝罪の時代 曽野綾子


・・ただ中学生が、父も実母も学校もいやだ、と言ったのは間違いないらしい。施設以外のどこもいや、というのでは、施設が入れてくれなかった場合、生きていく方法は他に一つしかない。家を出て、ストリートチルドレンになることだ。

モンゴルでさえ地下の下水道の中なら、どうにか暖房なしで厳冬を越せると言うので、地下で暮らす一群のストリートチルドレンがいたという。しかしこの中学生はそれだけの勇気もない。私は決して家出を勧めるわけではないが、殺人するくらいなら、家出をする方がずっといいだろう。・・

・・規則づくめはいけないが、規則は規則として守る人こそ、規則づくめはいけない、という資格があると私は思っている。

 私は昔から、自分がどうしても耐えられなくなったら、黙ってその場を去るのが好きだった。
つまり何もかも捨てて自分一人で生きる覚悟さえすれば、それほどいやな環境からは離れることができるのに、そうしようともせず、身近な人間を激しく恨んだり憎んだりするのは卑怯な感じだった。
・・・
実際学校などというものは、行けたら行くのがいいけれど、ほんとうに役に立つ知識を教えてくれる場所ではない。その証拠に、小説の学校というものはなくて、すべては独学で学ぶのである。

私の場合、最初の教材は自分の育った不和な家庭であった。そして少なくとも文学の世界では、学歴が出世の足しになることなどまずないのである。

今の地震対策では・・

謝罪の時代 曽野綾子


今でも忘れられないのは注意項目の中に、もし不時着に成功したら、負傷者の手当てを終え次第、ただちに乗客全員に仕事を割り振るという項目があったことだ。つまり何もしなくていい人を作ると、その人から恐怖に怯え、精神的にだめになるというのである。

 今の地震対策では、非難して来る被災者を収容するところまでの配慮はできているが、その後の管理が不備なように見える。つまり、健康体力などに応じて、すべての人を即刻復旧に参加させる制度の編成がなさそうなのである。

 どんな高齢者でも、健康なら、布団の上に坐るか寝るかして、与えられたおにぎりを食べていればいいというものではない。

・・緊急用の組み立てトイレがあるのかないのか、なければ穴を掘って場所を作らねばならない。
人が多い場所ほど、その日から移住区の掃除が必要だ。ボロ雑巾一枚あれば、畳はぬれぞうきんでふけば、気持いいばかりに埃もとれるのだから、皆が清掃をすべきである。

・・いつも思うことだが、手をこまねいて自衛隊の炊き出しを待たずに、誰かが指揮して、倒壊家屋の廃材や備蓄してある薪をつかって鍋でご飯を炊くことだ。石三個あればどこにでもかまどはでき、コメの1.5倍の水を入れれば、必ずご飯は炊ける。

権威主義の匂い

謝罪の時代 曽野綾子


何かを争って買うのははずかしいことだ、と教えたのは母である。「得をしようとして髪振り乱すような浅ましいことをしてはいけません」と彼女は言った。

・・一月の成人式の日のマスコミが報じた写真を見て、・・皆が一斉に白いショールをしている。・・何も制服のように白いショールをつけなくていいだろう。・・ある家庭で、お母さんがもっているミンクのショールをしなさいと言ったら、新成人が「嫌だ、皆といっしょのがいい」とあの安物を買ったのだそうで、ほんとうに悲しい話である。

いっしょがいい、というのは、つまり自分の行動に自信がない、ということで、かなり生涯を通して問題になる心理状態ではないか、と思う。

ミシュランガイドの調査員はどうせ外国人だろうが、はたして日本の味がわかるのか、といろいろは論議があると言うが、問題は決める方ではなく、それをありがたがる消費者の方にあるだろう。

・・・数万円もするようなお鮨を私は一生食べないでいい。ごちそうになってもいらない。

権威主義の匂いは料理をまずくするし、常識的な生活感覚を度外視した商売があって差し支えないかもしれないが、私の暮らしとは関係ない。それでも私は、私の生活の範囲でけっこうおいしいものを食べているのである。

歴24年,個人エステサロン

日常の喧騒からはなれた 美的体験で 心の癒しと解放感を。 Lotusでは、いつ帰ってもいいような あたたか味とゆとりのある 居心地のよさを 皆様に提供させて頂くことを 目指しています。 皆さまにとってLotusが、癒されて元気になれるパワースポットのような場所になれれば幸いです。

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老舗店をめざして精進してゆきますので、今後もご贔屓どうぞよろしくお願い申し上げます(^^)ご新規、一見さんも歓迎です☆ なお、記事は全てセラピストの妹の日記です。セラピストは別の人で、記事は書いておりません。元気でいつもお店にいますのでご心配なく!

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