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それぞれの山頂物語 曽野綾子8



集中治療室 愛のない恐るべき空間

あんな無機質な部屋で、意識のある人が暮らせると思うなら、医師自身があそこへ一週間くらい入ってみたらいい。

当然なことだと思うが、植物の気配も窓からの眺めもない。時間をつぶすテレビもラジオもなければ、新聞を読ませてくれない。疲れきっている家族が付き添ってせめてもの会話を楽しめる穏やかな空間もない。 

 あんなところで刻一刻を、意識のある人がどうして耐えるのだ。

集中治療室というのは、看護する側の都合だけを考えて作ったものである。あそこでは肉体だけを生かして、精神を生かすことは全く考えていない。・・・あの部屋は患者にとっては残酷極まりないものなのではないか、という疑問を提出しなかったのか、病人側が人間を「もの」と心得ていて、訴えを一切聞かなかったかのどちらかである。
・・集中治療室には医療の技術はあっても、愛に関する配慮がないから人権はない。

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それぞれの山頂物語 曽野綾子7




 私自身も有色人種として、今の南アのように仕事も勉学も遊びも移住の自由もすべて平等に与えられているなら、改めて自分の住む所だけは同じ肌の色の人たちとの方がいい、と人種差別ではなく人種分離政策を支持したい気分になった。
 というのも、美学が違うのである。

私の母は終戦後のお金も物もない貧乏な時代には、家の内外の掃除ばかりしていた、つまりそれ以外に、生活が貧しい感じになるのを防ぐ方法がなかったのである。

 しかし南アでは、ブラックの人たちが住んでいるところは他の人種の移住区と比べて明らかにゴミだらけで、花や植物が少ない。中にはすばらしい豪邸もあるのだから、経済力の問題だけではない。

要するに(家の中は見たことがないが)外の清掃をしようという気があまりないのである。掃除だけしていて、実は貧乏だった母とは、生き方が違うのである。

 こういう違いは、どちらも自分のやり方の方が当然と思っているに違いないのだから、あまり深刻に考えずに、同じような文化に対する志向を持つ人が集まって暮らせばいいと私は思う。町の機能そのものに、基本的な差別はないのだから別れて住む自由もある。

それぞれの山頂物語 曽野綾子6



(つづき) 皇室も堕落していない。亡くなったダイアナ妃のような、夫以外の複数の男と関係を持つような人も皇室のメンバーにはいない。どなたも学問を愛し知的で質素である。世界の王室の中で、優等生中の優等生だと言ってよいだろう。

 義務教育は100パーセントに近く、自国の生産品は世界的なレベルを保ち、国民にやる気があり、兵器の輸出で儲けてもいない。・・・役人皆がわいろを受け取っているわけではない。

・・・なにより素晴らしいのは、義務教育の制度が生き届き、現実にそれをほとんどの人が受けられるということだ。
こんなことは夢のまた夢という国はいくらでもある。

二代目の政治家は多いが、総理大臣の親戚が、すべての要職を独占するということもない。時々いかがわしい人も事件も起きるが、日本はやはり世界一誇るべき国だろう。こういうことをはっきり言わないと、生徒も先生も、判断が狂ってしまうのである。

それぞれの山頂物語 曽野綾子5



日本は総理に指導力がなかろうが、銀行が堕落していようが、官僚が天下りをしようが、世界的なレベルでは実に立派な、誇るべき国なのだ。

 まず飢えている人がいない。病人が道に放り出されていることもない。警官や裁判官の多くがやくざと繋がっているということもない。失業率が4パーセントを超えていると言っても、たった4パーセントである。大学でも普通の男たちも、ほとんど働く場所がない国なんかいくらでもある。

 水は安心して飲める。どの水も飲めるだけでなく、それで風呂に入り、水洗トイレを流す。
電気もガスも電話も、今日は故障で使えないなどという日はない。鉄道は時間を守ることで有名であり、郵便は普段は確実に届く。地震があっても被災者にはとにかく即日食べるものを配られる。何よりすばらしいのは、誰もが国民健康保険の制度で守られていることだ。
(つづく)

それぞれの山頂物語 曽野綾子4



私たちの多くは、幼い時、大なり小なり親に困らされたものであった。
親の命令は多くの場合、高圧的でピントはずれで子供の希望を打ち砕くようにさえ思えた。ほんとうに意味のないものであったし、そうでないものもあった。というあたりが真実だろう。

 しかし私たちは命令に従い、困らされ、不平を抱き、むしろその故にこそ社会と人間の真実を見抜く目を養った。もっと普通に言うと、困らされたから見抜けるようになったのである。

 最近の親たちが、民主主義を家庭内にも導入しようとして、子供のご機嫌をとることで、自分は物わかりのいい親だということを示そうとしているのを見ると、私は何よりも、子供がかわいそうになる。

それによって子供などんなに才能や知性があっても、嫌なことに耐える力ができない。年長者を労わって「まあ仕方がないや」と譲ることもできない幼児性から、いつまでも抜け出せないようになってしまっている。
・・・
アラブ系の子供たちは、どこへ行っても気楽に「バクシーシ(お志をください)と言いながら手を出す。これは一種の物乞いなのだが、日本人はそれを深刻に受け止める。・・しかしそれほど深い意味があるわけではない。これを無邪気に習慣にしている国は、いくらでもある。子供などの場合など「バクシーシ」と遊ぶ、という感じだ。くれればめっけもの、という程度のことである。

それぞれの山頂物語 曽野綾子3



私の子供の時代には「子供の人権」などという言葉は聞いたこともなかった。しかし私たちは素朴に可愛がられ、叱られ、先生は怖くて尊敬するものだと教えられた。子供は可能性を秘めているが、未熟で知識も少ないのだから、大人や先生が完全な主導権を取って教えるのが当然である。

子供の権利と言う言葉がとくに必要なのは、子供を食べさせ教育し強制労働から守ること、のできない社会を改変させる時だけで、日本では子供には深い愛は無限に必要だが、子供の権利などとくにうたう必要はないのである。

家庭ではお父さんとお母さんが偉くていいのである。指揮権を取るのは年齢の上の人である。
もちろん彼らがすべて正しいわけでも、間違った判断をしないわけではない。むしろすべての人は間違うものだ。
 しかし、たいていのことは、高齢者が指揮権を取っていいのだ。


大きな盆に皆が手を突っ込んで食べる習慣のある土地では、しばしば男性が先に食べ、余ったものを女性や子供が食べる。

幼い子供は私たちがよく経験するように、食べ方が非常に遅い。だから彼らは、限られた時間の中で競争力がものを言うようなテンポでは、食事が取れないのだ。だから彼らは次第にやせ細る。

 子供がどれだけ食べているか、大皿の食事ではわからないなら、別のお皿に取って子供の分を確保なさいよ、と教えても、多くの家庭ではそれが出来ない。別の皿がないから、というのがその理由だ。プラスチックの小皿を買うお金などないのである。

子供の権利、というのは、そんなふうにして食べていない子供のいる国では必要なものだ。子供が学校へ通う権利、労働をしない権利も多くの国で守られていない。

メリークリ−スマス♪


正義は胡乱 曽野綾子




外見や名前や、地位や引きに関係なく、誰にでも同じような親切を尽くすのが魂の高貴さだと、私は教わった。・・眼の前の乞食は王様だった、という話は、今でもあるのだ。本を読まない世代は、こういう話も知らないから、眼の前の乞食には決して親切にしないのである。

・・・よく電話機に向かって「どうもありがとうございました」などと言いながらお辞儀をしていると笑われることがあるが、あれはお辞儀をするとほんとうに慎ましい声になり感情がこもるのである。

その反対に寝転がったまま、慎ましい声で相手に最大級の礼儀正しい言葉づかいをしても、声はよく実体を表してしまう。

寝そべったまま「はい、確かに賜りました。いつも一方ならぬお世話になっておりますから、今度はせいいっぱい努力してやらせていただくつもりでおりますから、どうぞよろしくお願いいたします」などと言ってみても、声は多分何かおかしい、ふざけたおざなりの雰囲気を伝えるものである。

それぞれの山頂物語 曽野綾子2



・・・卒業式は当然卒業生のためのものだが、そう答えるとそれなら式次第も自分たちで決めさせろ、となったのだろう。
おひな祭りはその家の娘のためのものだが、雛を買うのも祭りのやり方を決めるのも親なのだ。

 小さい時は年長者が決めたことをやるのが教育だ。というと、それは軍国主義に繋がるとか、人権侵害だとか、この頃は話がすぐ常識の範囲を逸脱するから疲れる。  

 教育というものは、先生は文字通り先達で、生徒はそれに従うものだ、というはっきりした立場がないと、成立しないのである。あらゆる芸術、学問、技術の取得はすべてそうだ。今はやりの平等、人権、民主主義などと言った概念では全く解決しない。
 
 しかし教える側は偉いと言ってもただいばるのではない。先輩は後輩をいつくしむ。教師は生徒のことを心に深く思って、楽しい会話もあるべきだし、生徒の好みや希望などはよく聞いてやるのがふつうである。

しかし立場の差は歴然としていて決して平等ではない。教え、教えられる、という行為そのものが、上から下への流れをもっているのだ。教育の現場には、徳や忍耐や仁慈や寛容や愛などというものは非常に大切だが、民主主義などの必要性は恐ろしく低い。

それぞれの山頂物語 曽野綾子



現実に人と会う時、よく相手の顔をまじまじと見て、その記憶を胸に焼きつけようとする癖はあった。

生まれつきのひどい近視だったから、その肝心の操作がうまくいかなかったのは少し滑稽だったけれど、その人の存在、その存在にまつわる重い手ごたえだけは、大切に記憶したかった。

 若い時から、私は人でも場所でも、いつもこれが今生の見納め、と思う性癖が抜けなかった。私はその思いをちょっと悲しまないわけではなかったが、しかし動揺はしなかった。人は別れを前提に会うのだから。会って「その人の顔」を見ただけでも、理由はないけれど、ほんとうによかった、と思う。

私は人権という言葉が、最近では一番さむざむしく感じる。人の心は制度では解決しない。権利でも充たされない。
むしろ大切なのは人生に対する恐れといとしさを持つことだ。私は小説を通して、人生を深くおもしろいと思った。幸福にも不幸にも胸躍るような意味を見てしまった。
 だから私は生きる限り、まじまじと「相手の顔」を見つめつづけるだろうと思うのである。
(つづく)

歴24年,個人エステサロン

日常の喧騒からはなれた 美的体験で 心の癒しと解放感を。 Lotusでは、いつ帰ってもいいような あたたか味とゆとりのある 居心地のよさを 皆様に提供させて頂くことを 目指しています。 皆さまにとってLotusが、癒されて元気になれるパワースポットのような場所になれれば幸いです。

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