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私がしばらくの間そこを立ち去らなかったのは、事のなりゆきが私の思い通りにはいかなかったからだった。

母親は自分が飴をなめるだけで、決して子供に口うつしに何かを与えそうにはなかった。あまり空腹だったからだろう。彼女は自分がそれを食べてしまったのであった。飴を舐めれば、干からびた乳房が少しは乳を出してくれると計算したのではなかったろう。  それが人間と言うものなのであった。

私達はあまりにも多くの母性神話を聞きすぎていた。しかし誰もが自分の身を犠牲にしても子供を救う母ではありえない、というあたりが自然なのだろう。
 母性が、子供のためには自分の命を投げ出すものだ、という話が信じられるのは、命の危険のない時間と空間で語られる時だけかもしれないのである。

 2018_12_21





見た、と言っても、そこには心眼も必要だろう。単なる事象、としてしか見なければ、そのものが懐に抱く深奥な意味をすくい取ることもできない。

「物事を軽く見ることができるという点が、高邁な人の特徴であるように思われる」というアリストテレスの「エウデモス倫理学」の中の言葉は、今でも私の大好きな姿勢である。「ことに自分に関するものごとを・・・」と付け加えれれば完璧だ。
 人間は誰でも、自分に関することをもっとも重大事だと考える。しかし他人のこととなるとそれほどでもない。

 2018_12_20





もし人生を空しく感じるとしたら、それは目的を持たない状況だからだと言うことができる。
 たとえば高齢者に多いのだが、朝起きて、今日中にしなければならない、ということがなにもない。だからどこへ行ったらいいのか、何をしたらいいのかわからない。どうして時間をつぶそうかと思う。

・・年齢に関わらず、残りの人生でこれだけは果たして死にたいと思うこともない、と言う人は実に多い。
諦めてしまったのか、目的と言うものは偉大なものであるべきだ、と勘違いしているから、どちらか私にはわからない。

・・・現在の日本人は、まずまず食べられるから不幸なのだ。その人が今日食べるものにも事欠くような状態なら、何か半端仕事でもしてお金を稼がねばならない。という切羽詰まった思いになり、その緊張も一つの救いになるのだが、今日の日本でふつうに見る高齢者は、どうやら食べることはできる、雨の漏らない家もあって、死ぬまで住んでいける。

 しかし、目的がない、という状態なのだ。この虚しさほど辛いものはない。退屈と言うものは、死ぬほど苦しいものだ、と言った人さえいた。

 2018_12_19




私から見ると就職というものは、自分が好きで、いささか専門的な知識のある分野で選ぶものである。

しかしもうずっと以前から、マスコミが銀行家役所のどれでも入れてくれるところに務める、というような意識の青年たちが現れるようになった。

マスコミと銀行では、求められる才能がまったく違う。マスコミ人と公務員では、幸福の感じ方が全く異なる場合もある。

 つまり青年たちの魂に、全く個性がなくなったのだ。自分の好きなものも嫌いなものも判別がつかない。自分の理想とする人生が大学を出る年になってもわかっていない。

恐らく「生涯を賭けて生きたい道」など持っている人は、非常に少ないだろう。

・・・本当に人の一生というものは、最後の最後までわからない。


 2018_12_18






震災以前から生活保護を受けている人たちは無料で医療の恩恵を受けている。救急車は無料。そんな国がこの地球上にほかにどれだけあるかを考えもしないで、日本は格差社会だといってあおる人たちがいる。

外国では、上は首相から、下は下級公務員に至るまで汚職体質がびっしりとはこびっている国も少なくない。

しかし日本では例外的だ。・・・親もいる中学生が「援助交際」をして、そのお金でブランド物のハンドバックを買っていても、家の中で気が付きもしないのが、問題にもならない社会は、それだけで深く病んでいる。

 そういう社会は、基本的な倫理観、精神的な潔癖感、個人的な矜持のすべてが欠けていて、「流行と大多数」が個人の思想の位置を決めるようになる。

友達が皆しているんだからカンニングをして当たり前、お金がなくてどうしてもほしいものがあれば万引きすればいい、という空気が濃厚にあって、それらのものは、どんなに些細なものでも人間失格なのだ、など言えば、何を頭の固いことを言っているのよ、といわれそうな空気なのである。

 2018_12_17




 ・・・一見、世間からは球団されるようなことでも、神の眼からしたら多分褒めてもらえるようなこともあるだろう。その反対に、世間がもてはやしてくれても、神の眼から見たら何ら評価されるべきことではない場合も実にたくさんあるだろう。

・・・世間からどう思われてもいい。人間は、確実に他人を正しく評価などできないのだから、と思えることが、多分成熟の証なのである。それは、自分の中に、人間の生き方に関する好みが確立して来たということだ。

・・・聖書には「神は隠れていて、隠れたところのものを見ている」という思想がはっきり出ている。だからもっと恐ろしいのだ。

私達が人にしれずにやりたいこと、・・道に落ちていた一万円札をこっそり私物化するとか、夫に隠れて好きな男に会いにいくとか、そんなことも神はじっと見てすべて知っている、と私は思って来たのである。

 2018_12_16





 私はそれらの半分休眠しているような団体に、大体三年後を目安に、人件費などの経費を打ち切る通告をした。今年急にゼロにするのではなく、三年間に次第に額を減らして、その現実を実感して準備をしてもらう。
存族が必要な団体であれば、その間に必ずどこかから別の援助の口がみつかるだろう。

私の体験によれば、現実に救いの手は必ずあるものなのだ。しかしその間に何一つ自助努力をしないなら、その団体は消滅した方がいいという時期に来ているのだ。

・・・私は信仰がないと不自由だろうな、と思うことがある。
自分のしたことを正確に評価されることを、他の人間に期待するからである。

・・・私が幼いころから、キリスト教の信仰にふれてよかったと思うのは、自分の行動の評価者として神しか考えないようになったことだ。・・だから人にどう思われたっていいというわけではないが、いつのまにか、他人の評価は大きな問題ではない、という心の姿勢が私にはできるようになった。
 2018_12_15





私の初年度の仕事は、最近風に言うと「事業仕分け」昔からずっと言われている経費の合理化に向けられた。

私はろくろく客観的に評価されるような成果もあげないで、「そこに出勤している」だけで、給料を受け取る人たちを「飼っている」ような組織には、ほんとうは今日からでも金を出したくなかった。お金は、それが生きる場に出さなければならない。ことに公金こそ、この点の見極めが非常に重要だ。

 しかし私は最初から急激な「取りつぶし」をしてはいけない、と反射的に感じたのである。

どんなにその組織で働く人が無能な怠けものでも、その人の家族は、彼の収入によって生きている。
彼の娘や息子は、父の収入で、将来の計画を立てている。だから、急にその人の生活が成り立たないような処置を取ってはいけない。

 2018_12_14





自分に向かない道に入ったら自他ともにうまくいかなくて、当人も不幸、社会も迷惑をこうむる、というふうには教えない。意図がよければすべてよし、とされてしまうからだ。ついでに言うと、小説家は、性格は円満でなくてもいいが、人を見る眼だけは非常に素早くないとだめな職種だ。

 ・・・日本では、誰もが大学に行きすぎる。勉強が好きでもなく、卒業までに基礎的な知識も身についていないような青年までが大学へ行く。こんなもったいないことはないし、世界的に見ても、そんな贅沢が簡単に許される国ばかりではない。

・・・早い話、小説の大学はない。またくても少しも困らない。あればそこで小説作法を教えてもらえ、卒業生が全員、プロの小説家になれるというものではないから、つまり要らないのである。

小説は、他人とはちがう文学の領域を創ることだから、誰かに教えられるものではない。芸術は本質的に、誰もが独学で学ぶほかはない孤独な道である。

 大学生でありながら、ろくに本も読まず、アルバイトやボランティア活動ばかりしている人がけっこういる。私は、大学生の本分はまず、勉強することであって、ボランティア活動さえあまり賛成ではない。・・・大学生の社会に対する任務は、勉強することなのだ。


 2018_12_13





常識というものは、常に相手の存在を意識するところにある。相手はどうでもいい、と思うから非常識が発生する。

・・・私は昔から、カトリックの信仰を基準にした教育をうけた。
神の前には、人間社会の地位や名誉など、全く無意味なものだ、という意識を徹底して育てる教育である。

私達はやや昔風の言い方だが、「王様の前でも乞食の前でも、等しく同じ態度で接する」ことができるようにしつけられたのであった。

つまり偉い人だからといって、その前に出ると委縮して自由に喋れなくなるということもなく、乞食の前だからといって急に相手を見下すような無礼な態度もとらず、同じように礼儀正しく、温かい心で接することができるように、ということであった。

 私の母は田舎の出で教育もない女性だったが、こういう点に関する美意識は強烈であった。
「どなたの前でも、誠実に礼儀正しく、怯まずにお話できるように」と母は言っていた。

相手の年や地位を聞くと、急に言葉づかいを変えるような人を、母はもっとも嫌っていた。

 2018_12_12



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歴24年,個人エステサロン

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