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素読教育の必要

「論語」はまずなにを措いても、「万葉」の歌と同じように意味を孕んだ「すがた」なのです。

古典はみんな動かせない「すがた」です。その「すがた」に親しませるという大事なことを素読教育が果たしたと考えればよい。

「すがた」には親しませるということができるだけで、「すがた」を理解させることはできない。

とすれば、「すがた」教育の方法は、素読的方法以外には論理上ないはずなのです。

実際問題としてこの方法が困難となったとしても、原理的にはこの方法の線からはずれることは出来ないはずなんです。

古典の現代語訳というものの便利有効は否定しないが、その裏にはいつも逆の素読的方法が存するということを忘れてはいけないと思う。古典の観賞法という種の本を読んでみても、観賞ということは形式で、内容は現代語訳的な行き方をしているものが多いと思っているのです。

・・・国語伝統というものは一つの「すがた」だということは、文学者には常識です。

この常識の内容は愛情なのです。・・愛情を持たずに文化を審議するのは、悪い風潮だと思います。愛には理性が持てるが、理性には愛情は行使できない。そういうものではないでしょうか。

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 2017_11_26


強調文

 アメリカの先住民も文字を持っていないです。文字によらない感覚はものすごく洗練されていて、ちょっと見てもそこに何が通った跡があるというのがわかったり、この草は薬草だとわかったり、僕らと全然違う感性を磨く。それは文字を持たなかったからだ。

しかし文字文化のほうが全体として優勢なわけでしょう。しかしわれわれは優勢な文字文化の中で失っているもののことも考えなければいけないと僕は思っています。

谷川・子供の感性が素晴らしいのも、やはりそういう文字などを通さずに現実と直接接触しているということで出てくる、

たとえば子供の詩みたいなものもあります。もちろん文字では書けないけれど、口でぽこっと言ったこととか。

・・僕などは自分が好きな音楽のあるパッセージを聴いて一番感動しているときには、思い出せそうで思い出せないというもどかしさがすごくあるんです。音楽が与えてくれるものは、言語よりもっと深いところにある何かを刺激するような気がします。
 
絶対にそうだと思いますね。

 2017_11_25


 

河合・言葉ができて、次に文字ができるわけですが、ところが無文字社会もあるわけです。

たとえばケルトは文字を持たなかった。
ケルトの研究者の対談している本を見ていたら、ケルトの文明はすごく高いのに文字を持たなかった。
ひょっとしたら、意図的に持たなかったのではないかと語っているのです。

 なぜかというと、文字ができるということは便利な代わりに心の働きを限定するところがあるのです。

たとえば山という字ができると、山がわかったように思ってしまう。この山も、あの山も同じ山だという山という概念が成立する。

人間の進歩ではあるけれど、そのために感性は衰えるわけです。一つ一つの山を見て感じることができなくなってきます。

ケルトはそちらのほうを発展させたのではないか。だから文字がないのではないかという考え方は面白いと思いました。
(つづく)
 2017_11_24





健康でもお金でも知能(ぼけていない頭)でも、幸いに少しでも余計に持っていたら、それを失った人のために、自分の持ち分をささやかに分ける思想がないと、今後の日本はやっていけない。健康保険や介護保険を払っても、健康なので少しも使わないから損をしたと思うようでは、いい社会も、自分の幸福も望めないだろうと思う。

進んで損のできる人間にはどうしたらなれるか。それがむしろ誰もが係わっている現実の生活の中での芸術である。

実は本当に自信のある人は、遺伝子が劣等だといわれても怒らないだろうと思う。
なぜなら、もしそれが本当なら怒っても事態は変わらないのだし、それが嘘なら、別に嘘つきの嘘に真剣に反応することもなく、自分の実力を見せつけ続ければいいだけだということを知っているからである。
 どの人種にも劣等な点はあるだろう。日本人は指先が器用だが、陸上で走る能力で黒人と競おうとは陸上の選手以外あまり思わないだろう。


 2017_11_23





年老いたことを出来ない理由にしないこと

 最初から結論めいたことを言ってしまえば、ゲートボールができるくらいの体力があるなら、なぜもっと働かないのだろう、と思う時がある。
 人は何歳になっても自分を鍛え続けて当然だろう。

遊びもするが、つらいことも少しは忍んで、遊びと働きのバランスをとった生活をする。老人になって引退した後は、遊びだけになる。と考えることが間違った考え方だと私は思っている。・・しかし老人になったから遊ぶべし、という法律は何もないし、老人だから自分を鍛えなくてもいい、という原則もないと思う。日本の老人は、年齢やその優秀な素質の割に自立できない人が多すぎるように思う。それは、かつての「家」を中心とした考え方のせいで、老後一人暮らしをするなど計画の中になく、必ず長男夫婦と同居することしか計算になかったからだろう。



 2017_11_22





日本の病院でも、人間的な優しささえあれば、専門知識などなくても済む仕事がたくさんある。

病人の見回り、便器の後始末、清拭、食事の世話、衣服の着せ替えなどは、少しの訓練で誰にでもできるだろう。

娘でも嫁でもできることは、こうした介護の未熟練労働者にもできるということだ。

病院ではむしろ技術よりも、人間的優しさを求められることが多いような気がする。だ

から素人にでもできることは、どんどんやってくれる外部の労働力に明け渡せばいいのにと思うが、それがなぜかうまくいっていないように見える。


 2017_11_21





・・しかし、私がこういう奇妙な幸運を人生で引き当てたのは、今までに2回だけである。
  
一度はマダガスカルのカジノだった。そこでもしバカあたりをしたら、お金は全部、貧しい修道院経営の産院に寄付する、とルーレットの台に座る前に同行者に約束したのである。

そして私は外の時、ルーレットを2度続けて当て、そこでそのまま一日の無駄もせずゲームを打ち切って、掛金を全部回収した。

私はどちらかというとくじ運のわるいほうで、こういう眼の眩むような幸運は、私の生涯にただの二度も経験がなかった。そして神に約束した手前、仕方なくもうけを全部寄付してマダガスカルを去った。

・・私の受けとるお金のさらにかなりの部分を、自分のことではないことに差し出す必要が生じるのである。労せずに得る金というものは、悪銭とおなじように身に付かないものらしいのである。
 私の場合だけかもしれないが、2回とも「当てた」時、そのお金を受け取れないようになっていたことが私にはおもしろい。というより、そういう時にわたしは神の「差し金」を感じてきたのだ。


 2017_11_20




〈他人はエライ〉という発見
若いころは、自分こそ、という気負いがある。しかし人の世で揉まれてみれば、自分より上位のものが、わんさかいるではないか。知識、人生的器量、才幹、気立て、処世の知恵、性格的魅力、体力…いやあ、かなわん、というデキブツがごろごろいるのを、発見する。それがわかるのも、人間、60にも達すればこそ、と思う。

また、他人はエライが、自分もエライのだ。よく戦ってきたじゃないか。満身創痍の身で戦場を馳駆し、生き延びた。〈自分もエライんだ〉と思わなきゃ、長生きしてる甲斐もないじゃないか。


 2017_11_19





老人たちが金に執着する理由は、子供からも社会からも見捨てられた時、最後に頼りになるのは金だけという考えから成り立っているのだが、それほどのひどい目にあうようになったら、金などあっても何にもならない。

 もし使い切った後、まだ命があって、そして、まわりに自分を見てくれる人が誰もいなかったら、その時こそ、もうこんな薄情な世の中にいきていなくてもいいではないか。

その時には私は、着たきり雀で歩き出すだろう。目的はなく、ただ、これと思った方向に力尽きるまで歩くのである。

途中で雨にあい、力尽き、病気になったりしても、老人ならば、そうそう長い間、つらい目にあわなくても、カタがつくというものである。

この最後の行進は、本当に最後のものだが、昆虫の死のようで、そう悪くはないような気がする。これは決して家出のすすめでもなく、自殺の勧めでもない。子供が一人いたら、(社会が救ってくれない場合には)子供のところに転がりこむべきである。 

 2017_11_18




・・・働ける光栄は人間として最上のものと思う。私としては死ぬ日まで何かして働いていたいと思う。

 肉体の労働とともに、頭脳の労働も実に大切である。

肉体よりも、頭の老化が早くも40代からはじまっている人も時々みかける。物覚えが悪いとか、人の名前を忘れる、とかいうことではない。・・家庭の主婦はまとまった本を読まなくなり、研究心にかけ、がんばりがきかなくなり、たやすく他人の噂を信じて、それを話題にするようになる。
 頭を鍛える最上の方法は、たえず抵抗のある状況に自分を置くことである。つまり、いやな思いをすることである。


 2017_11_17



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歴24年,個人エステサロン

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老舗店をめざして精進してゆきますので、今後もご贔屓どうぞよろしくお願い申し上げます(^^)ご新規、一見さんも歓迎です☆ なお、記事は全てセラピストの妹の日記です。セラピストは別の人で、記事は書いておりません。元気でいつもお店にいますのでご心配なく!

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